ガンダムおたくのカーライフ🚗略してガンカラ!

クルマやガンダム、自分の体験したコト、日々興味のあるコトについて語らせていただきます


機動戦士ガンダムの何が面白いのか?を語る #2

こん〇〇は!
ガンダム40周年で盛り上がっている2019年、今回もガンダムネタで盛り上がっていきます!
とか言ってたら前回、面白いと思うポイントを書いていくうちに自分で盛り上がりすぎて、一記事で収められませんでした😅

ということで今回も「ガンダムの何が面白いのか?」を楽しく解説して参ります!

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[目次]


ロボットアニメに対する卑屈さからリアリティを追求

TV番組などで富野監督インタビュー番組での発言を聞くと、とにかくアニメやロボットものを低俗と言い切り、やりたくなかったと言い切っておられます。
その分、正義のロボットが悪を討つという固定概念で思考停止せず『そんなのおかしい!?』と感じた部分を片っ端からを変えていきました。
更に富野監督のインタビューでよく出てくる『劇』『映像手法』という得意な表現手法を駆使しリアリティを築き上げていった…
結果、ガンダムというこれまでにない斬新なロボットアニメが生まれることになったのです。


戦争の被害を出来るだけ描く

つい先日、Youtubeのガンチャンでガンダム第1話を観たのですが...アムロが待機カプセルから出た瞬間、巨大なザクと遭遇。ザクマシンガンから排出される薬きょうの巨大さ、薬きょう一つでも人に当たったら即死する感がしっかり表現されています。
流れ弾が飛んできて、フラウの母と祖父が亡くなるシーンでは、戦争では”なんの見せ場や訴えもなく犠牲になった人々”と、その無念や残されたものの悲しみを強烈に印象づけます。

TV版ガンダムの前半は、戦争で犠牲になる人々やホワイトベースに収容した避難民のエピソードにかなり尺をさいてるので、アップテンポ感はないしロボットアニメとして派手さは控えめですが、丁寧に作りこんでいるエピソードの宝庫です。
※その分子供ウケは全く期待できなかったはず…

「戦争は荒野」という回で、避難民の親子がホワイトベースを下船しセントアンジェという故郷(?)向かう…というエピソードがあるのですが、戦争の悲劇や不条理を凄惨な表現をせずに描いた神回です。
「(ジオンと連邦)どちらが勝っても負けても、私のように夫をなくす人がこれからも大勢出るんでしょ」
という言葉と、親子がたどり着いた先には戦争で変わり果てたセントアンジェという救いのなさ。

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『この親子、この後どうなっちゃうんだろう??』と観た人に髪を引かれる思いを強く残してこのエピソードは終わります。

こういった演出が観た人達の想像力を掻き立て現実世界にも目を向けさせる仕掛けになり、結果ガンダムワールドにリアリティを感じてしまうのだと思います。

 

巨体ロボットにどうリアリティを持たせるか?

巨体ロボットをモビルスーツと呼び、ただの兵器とした。
モビルスーツは無敵のロボットでないし、主役のガンダムはかなり頑丈だけど、強力な兵器の直撃を受ければ撃破される...当たり前なのことだけど、それをアニメで当たり前に表現したことがガンダムの革新的な部分の一つでした。

因みに、自分が子供の頃ハマったロボットアニメに「六神合体ゴッドマーズ」があるのですが、全弾被弾してもビクともせず、最後もほとんど止め絵で敵を真っ二つにするシーンばかりでした(笑)
これがロボットアニメの王道ですよ(笑)
ただ...別の意味でゴッドマーズは面白いアニメなんですが、残念ながら今回は控えておきます(汗)

 

閑話休題。
『ガンダム一機で戦争に勝てるなんていう甘いもんじゃない』というウッディ大尉の言葉にもリアリティがあります。

そもそもガンダム自体が量産型MSを作るための先行試作機でしかないということ。

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観る人にはガンダムは超高性能モビルスーツで強くて目立ってカッコよい存在です。

しかし、ストーリー上戦いのカギをにぎる連邦軍上層部にとって、量産型モビルスーツの目処がついたらホワイトベース始めガンダム他の試作機は用済みくらいの感覚。

これらの全然違う側面を子供用アニメで描き切る演出とか、今観てもストーリーの重厚性に引き込まれます。ガンダムは特別じゃない...これもモビルスーツにリアリティを与えた手法だと感じます(特別ですけどね)。


モビルスーツについて

ガンダムファンはご存知の通り、レーダーを無効化するミノフスキー粒子の発見により有視界戦闘しかできなくなった世界を前提にモビルスーツが必要になったという設定です。
そもそも、「なぜ兵器としてロボットが必要になったのか?」という理屈から考えるところが富野監督の人とは違うところ。そんなことを説明しようとしたロボットアニメ、ほとんど無いと思います。

しかも小型核融合炉で動くとか、コンピュータが操縦を補佐してくれるとか、未来を予感させる設定の数々がマニア心をくすぐる仕掛けになっています。
18mのロボットがドンパチ戦闘を繰り広げるというあり得なさは百も承知で、それにリアリティを設定しようと試みたのは富野監督の誠実さからなのかもしれません。

ガンダム第2話でこんなセリフがあります。
『ガンダムは本艦(ホワイトベース)の右10キロに位置してくれたまえ』

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宇宙空間での話ですし一画面でこの距離感は表現できませんが、このセリフにより観る人に宇宙での戦闘空間の広さを想像できるようにしてるのがスゴイのです。
TV映像での戦闘表現はあくまで画面に収めるためのアイコンの様なイメージであり、本当の戦闘は画面に収められるようなもんじゃ無い...という見せ方の意思を感じます。

 

これ以外にもいろんな仕掛けでモビルスーツにリアリティを与えたガンダムなのですが、どうしようもない非現実的なものにモビルスーツ同士のチャンバラ(とあえて書きます)があります。

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日本的ロボットアニメの性質上、恐らく剣による一対一での決闘の必要があったのでしょう。それを逆手とって、侍映画に使われる”殺陣”をモビルスーツ同士の戦闘に取り入れてしまったのは素晴らしすぎです!

ガンダム第一話でジーンのザクを一刀両断にするシーンやランバラルのグフに下段から切り上げするシーンなど、ガンダムの殺陣はオトコ心をくすぐるシーンの宝庫なのであります。
おもちゃ売るためにモビルスーツを格好良くみせる必要があったのでしょうか、”殺陣”のもつシンプルさと様式美を取り入れたことで兵器であるモビルスーツに躍動感を与えた、ロボットなのになんとなく人間の様な動きのリアルさを感じる点もモビルスーツがウケた大きな要因でしょう。

 

万能パイロットのシャアも現場の一士官

キャラクター演出の一例としてシャアを取り上げます。

物語の序盤にシャアが『敵の機密であるV作戦をキャッチした!!』と喜んでいるそのウラで、連邦軍は量産型モビルスーツの大量生産や戦況を一気にひっくり返す大規模反攻作戦の準備を整えていました。

今後の戦争の主力となる量産型モビルスーツの目途はついており、ガンダムをはじめとするRXシリーズが発見されようが撃破されようが戦いの大勢に影響はないのです。

でも、シャアは自分が見つけた獲物(ホワイトベースやガンダム)の価値を過大評価してしまっており、それを連邦軍参謀に見透かされています。
結果、囮として単独でソロモンに向かうホワイトベースを追いかけてしまい、ティアンム中将の主力艦隊をみすみす無傷でソロモンに行かせてしまうわけです。

序盤ではモビルスーツの圧倒的な操縦技術や優れた戦術眼を見せつけるシャアですが、俯瞰して戦いを見通す力にはそれほど長けてないことを露呈。この辺、シャアの一現場の士官でしかないピエロ感を醸し出す演出になっています。

また、後半には妹アルテイシアとの決別や、キシリアに取り込まれたり、一パイロットとしてはアムロに先を行かれるという複雑なエピソードが絡み合い、人物像に一本調子な感じを与えずリアルにシャアという人が存在しているように感じてしまう。

シャア以外のメインキャラもそうなのですが、キャラクター一人一人にきちんと物語があるんですよね。キャラクターに命を吹き込むってこういう事かと改めて感動を覚えます。

 

という事でガンダムの面白さを2回に分けて語らせていただきましたがいかがでしたでしょうか?
自分は重厚なストーリー、魅力的なキャラクターに心を奪われた性質ですので、今回の様な内容になっちゃいました。
皆さんはガンダムのどんな点を魅力的で面白く感じますか?

本当は宇宙世紀の科学やニュータイプについても語りたかったのですが、あまりにも長くなってきたので…それはまた別の機会にしたいと思います。

 

ガンダムファンの皆様、暑い夏ですがYoutubeのガンチャンも駆使しながら楽しく過ごしていきましょう!

それでは、今日はこの辺で。(^^)/

『キミは生き残ることができるか?!』